[8]出会いは突然やってくる
あれから暫く話した後、拓也さんは会社のシステムにエラーが現れたからと呼び出されたらしく、私の分も会計してくれた後に「ごゆっくり。」とひと言残して行ってしまった。
なんとなくそのまま帰る気にもなれなくて紅茶を注文して渚さんとお喋りをしていた。渚さんが淹れてくれたのはカモミールティーで私もカモミールはお気に入りなので盛り上がっていた。
「七瀬ちゃんカモミールの花言葉って知ってる?」
「んー、知らないです。」
「逆境の中で生まれる力、あなたを癒す、辺りが有名だな。カモミールはね、太古から人々を癒すハーブとして重宝されてきたんだって。七瀬ちゃんの小説はきっとカモミールみたいに人々に寄り添ってくれる、そんなストーリーなんだろうなって思うよ。今度、良かったら読ませてね。」
「渚さん…ありがとうございます。今度、本持って来ますね。」
渚さんの言葉に嬉しくなって、さっきまでのモヤモヤした気持ちが吹き飛んでしまった。
「七瀬ちゃん、そろそろバーの時間になるけど大丈夫かい?」
「そうですね…。」
あんまり長い時間、居座っても迷惑になっちゃうよね…。少し名残惜しいけど、もう帰りますって言おうと思っていると、渚さんは、小さなグラスに入ったキャンドルをテーブルに置いた。
「もし時間が大丈夫そうなら1杯ご馳走させてよ。」
見透かされたようで少し恥ずかしかったけど、お言葉に甘えることにした。
渚さんが照明の明るさを落として柔らかいヴォーカルとサックスが心地いいジャズを流してバーの準備をしているとドアベルがカランと音がして若い男の人が入ってきた。
「渚さーん、聞いてくださいよっ」
真っ直ぐカウンターに歩いてきたところで私が座っている事に気がついたようだ。
「あ、こんばんは。」
毛先を遊ばせた明るいヘアスタイルに黒のタートルネックにダークトーンのスキニーを穿いている。切れ長の瞳と薄い唇で俳優やモデルをしてそうな物凄く顔の整ったカッコいい人だった。身長もすごく高いしモデルかも…。
「リョウ君、こちらは今日越して来た七瀬さんだよ。」
渚さんが間に入って紹介してくれた。
「こんばんは。7階に越して来た七瀬日向といいます。」
「七瀬ちゃんね、俺は6階に住んでる速水リョウって言います。よろしくね。」
切れ長の瞳を更に細めて人懐っこい笑顔をすると一見クールそうに見えるのにギャップが大きくてカッコいいのに可愛い笑い方をする人だなって思った。
隣に座るとニコニコとした笑顔を向けてくれた。
「急に聞いたら失礼かもしれないんだけど、七瀬ちゃんってスゴイ良い香りがするね。香水?俺その香り好きだな。七瀬ちゃんに合ってると思うよ。」
カウンターに来た時から、めちゃくちゃ良い匂いがしてさぁと言われて、希美子さんの言ってた言葉が頭を過ぎる。…希美子さん!面白いことってカッコいい人と出会えることだったんですか?
「これは友達が引っ越し祝いにくれた香水なんです。…実は私には少し甘いかなって思ったんですけど、ある人の助言でつけてみようかなって思ってつけてみました。」
「そうなんだ?まだ全然、初対面だけど俺はその香りスゴイ良いと思うな。なんか変な言い方かもしれないけど七瀬ちゃんの魅力が際立ってると思うよ。」
さらりと恥ずかし気もなく言われて少しドキドキしてしまう。
「えへへ、ありがとございます。つけた事のないタイプの香りだったので心配だったから嬉しいです。」
「ねぇ、七瀬ちゃん。せっかくだから1杯一緒に乾杯させてよ。」
リョウさんオススメのカクテルを飲ませてもらう事になった。軽やかにシェイカーを振って渚さんがテーブルにサーブしてくれた。
「オーロラです。どうぞ。」
「それじゃ、七瀬ちゃん、乾杯っ。」
「はい。乾杯です!」
茶褐色のそれはカシスの甘さとグレープフルーツやレモンのジューシーでフルーティーなテイストで飲みやすい。
「七瀬ちゃん、カクテル言葉って知ってる?」
「花言葉なら分かりますけど初めて聞きました。」
「カクテルにも花言葉と同じように込められた意味があるんだよ。」
「へー!このカクテルにもあるんですか?」
「あるよ。オーロラのカクテル言葉は「偶然の出会い」なんだ。」
俺たちも偶然に出会ったし良いと思ったんだよねと微笑まれた。こういうキザなやり方もこれだけ顔の整った人がやるとキマってしまうものなんだなと見惚れてしまった。
聞いてみるとリョウさんは近くの美容室で働いてる美容師さんだった。これだけ顔が整っているからモデルかと思いましたと言ったら面白そうに笑われた。
「ところで七瀬ちゃんは何してる人なの?」
「ぁ…実は、私小説家なんです。まだ卵ですけど…。」
「あぁ、やっぱり!何かやってそうな雰囲気してると思ってたんだ。」
「えぇ、そんな事初めて言われましたよ。」
「うーん、なんて言うかね、客商売してると何かやってる人ってオーラがあるから何となく分かるんだよね。それで七瀬ちゃんってクリエイターっぽい雰囲気あったから何か自分でやってる人なんだろうなとは思ってだんだ。」
俺の勘当たるんだぜ!すごいでしょう?と子供がオモチャとかを自慢する時みたいキラキラした目で誇らしげに言われて思わず笑ってしまった。
「で、どんなの書いてるの?俺のイメージ的には恋愛物書いてそうだけど。」
「まさにその通りです。失恋とか復縁ものとかが多いです。」
「やっぱり!すげぇ良いと思うよ。いいね、そういうの書けるのって才能ももちろんだけど努力の連続だろう?尊敬するよ。」
「ありがとうございます…。そういう風に言ってくれる人、初めてです。みんな才能あって良かったねっては言ってくれるけど、あんまり努力してるってイメージ持たれないんです。」
「それは多分、七瀬ちゃんがプロだからっていうのもあるかもしれないけど、多分、本とか小説とかが本当に好きで楽しそうだからなんじゃないかな。ま、読んだことがない俺が言っても説得力ないかもしれないけどね。」
笑いながらも的確に温かい言葉をくれるリョウさんの気持ちが嬉しくて私は久々に心から楽しむことが出来た。
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